―井伏鱒二・中野重治・小林多喜二・太宰治-
金ヨンロン
小説の批評性は「小説に何が描かれていないのか」にある。
四人の作者――井伏鱒二×中野重治×小林多喜二×太宰治――を
列する居心地の悪さに 近代文学研究という制度の枠、
その政治性を気鋭の研究者が問い直す。
*
序 章
小説、時間、歴史
第Ⅰ部
〈歴史的時間〉を召喚する〈循環的時間〉
第1章
小説が書き直される間
―井伏鱒二「幽閉」(1923)から
「山椒魚」(1930)への改稿問題を中心に―
第2章
「私」を拘束する時間
―井伏鱒二「谷間」(1929)を中心に―
第3章
持続可能な抵抗が模索される時間
―小林多喜二「蟹工船」(1929)と
井伏鱒二「炭鉱地帯病院――その訪問記」(1929)を中心に―
第4章
アレゴリーを読む時間
―井伏鱒二「洪水前後」(1932)を中心に―
第Ⅱ部
小説の空所と〈歴史的時間〉
第5章
××を書く、読む時間
―小林多喜二『党生活者』(1933)―
第6章
小説の書けぬ時間
―中野重治「小説の書けぬ小説家」(1936)を中心に―
第7章
疑惑を生み出す再読の時間
―太宰治『新ハムレツト』(1941)論―
第8章
占領地を流れる時間
―井伏鱒二「花の町」(1942)を中心に―
第Ⅲ部
〈断絶的時間〉に対抗する〈連続的時間〉
第9章
〈断絶〉と〈連続〉のせめぎ合い
―太宰治『パンドラの匣』(1945~1946)論―
第10章
語ることが「嘘」になる時間
―太宰治「嘘」(1946)論―
第11章
いま、「少しもわからない」小説
―太宰治「女神」(1947)を中心に―
第12章
革命の可能性が問われる時間
―太宰治『冬の花火』(1946)から『斜陽』(1947)へ
終 章
〈歴史的時間〉の獲得としての読書
A5判・上製・全320頁、本体3400円+税
2018年2月刊行
ISBN978-4-902163-96-4 C3090