教育の世界が開かれるとき

何が教育学的思考を発動させるのか

矢野智司・井谷信彦 編

教育とは、時代批判的な歴史的世界の創造的行為である。/
「私たちはどこから来たのか 私たちは何者か 私たちはどこへ行くのか」/
近代教育の思考法を問いなおし、課題に応答する
教育学的思考の新たな形の構築を試みる。(序章より)

目次

序 章・矢野智司
教育学的思考が発動するとはどのようなことか

第Ⅰ部 臨床教育学が出会う他者 「弱い」・「小さい」・「見えない」人々

第1章・池田華子
「弱さ」に応答する臨床知の形成――対話主義の実現に向けて
第2章・山本一成
幼児は〈生きているもの〉をどのように体験しているのか――保育における「生命のリアリティ」の探求
第3章・朝岡 翔
死者の世界をたずねる技法としての〈歴史の作業〉――リクール歴史論のプラグマティーク
第4章・中村育子
〈こだわり〉から見える自閉症スペクトラムの「私」――上田閑照の自己論から自閉症スペクトラム理解へ
第5章・山内清郎
ケアの場の意味機能の停止/過剰/残余――臨床言葉の発生源で起こっていること

第Ⅱ部 教育人間学が描く人間の条件 言語・感情・身体・信頼

第6章・井谷信彦
詩作者の知としての予感のパラドックス――ボルノウ晩年の自然論にみる「解釈学の射程外」の問題
第7章・辻 敦子
ベンヤミンにおける「物語る」という問題圏――「物語る能力」のゆくえ
第8章・岩井哲雄
実践のなかの感情――「相貌論」によるその妥当性の基礎づけ
第9章・秋田英康
西田幾多郎「行為的直観」による深い授業実践――活躍する「歴史的身体」
第10章・広瀬悠三
信頼の行方――新たな教育人間学へ向かって

第Ⅲ部 教育学的思考を駆動させる生命原理 ベルクソン・ドゥルーズ=ガタリ・バタイユ・西田幾多郎

第11章・藤井奈津子
ベルクソン哲学と新教育の彼方――生成の臨床教育人間学の可能性
第12章・森田裕之
成長―解放としての教育に向けて――ドゥルーズ=ガタリの身体論と教育の脱構築
第13章・宮崎康子
バタイユからデューイを読む――生命論としての experience と communication
第14章・森 亘
酒を飲むアリについての試論――バタイユによる生物学の贈与論的読解を越えて
第15章・門前斐紀
「十牛図」における自然体験――人間/動物の関係性を探る
第16章・矢野智司
西田幾多郎における教育学の構想――論文「教育学について」をめぐる考察
教育の世界を開く知の冒険――あとがきに代えて(井谷信彦)

A5判・上製・全472頁 本体4400円+税 2022年3月下旬刊行 
ISBN978-4-86686-026-8 C3037